Newsletter Voi.17-No.011で掲載した躍動像の反対側には、松蔭高校の前身である旧制中川中学校の正門門柱が移築されています。中川中学校は1940(昭和15)年に開校しましたが、1945(昭和20)年3月の名古屋空襲で校舎は全焼してしまい、その時に残っていたのがこの門柱でした。当時は現在のグラウンドの手洗い場付近に位置していたものを松蔭高校創立50周年を記念して、移築保存しました。このことは、50周年時に学校長を務めていた当時の服部滋校長が「愛知縣中川中學校正門由緒」として門柱が保存されている場所に碑を残しています。